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わかやまけん くしもとちょう
和歌山県 串本町

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【先行予約】【数量わずか】樹上完熟しらぬい(不知火) 6個~8個 秀品 2025年1月下旬~2025年2月下旬頃に順次発送予定(お届け日指定不可)/ 和歌山 みかん しらぬい 不知火 フルーツ 柑橘 蜜柑 果物 くだもの【kgr014】 -[kgr014]

寄附金額
14,000

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数量
14,000
数量

返礼品の特徴

贈答用化粧箱入 樹上完熟! 希少不知火!

自らも不知火の生産者として活躍する、道の駅くしがきの里代表の西岡社長。
西岡社長の農園では不知火の年間収穫量なんと約20トン!
フルーツ王国和歌山県かつらぎ町内でも1,2を争う不知火農家です。

■樹上完熟不知火と通常不知火の違い
【通常の不知火】
不知火は寒さに弱く霜や雪がかかると、皮が茶色く変色し、その部分の味が苦くなります。
そのため越冬が難しく、霜や雪が降る前の12月中旬頃に収穫し、酸味を抜くために2月~3月頃まで倉庫で寝かして出荷します。
それでも十分美味しいのですが、収穫後、数か月経過しているので不知火本来が持つシャキッとした食感がそこなわれ、1粒1粒のプリプリ感もなくなってしまいます。
市場に出回っている大半の不知火がこの通常の不知火です。

【樹上完熟不知火】
越冬のため、12月上旬~中旬に特殊な3重の袋を果実にかけて冷害から守ります。
そうする事で酸味が程よく抜け、2月中旬~3月中旬まで樹に成らした状態で育てることができます。
シャキシャキ感と1粒1粒のプリプリ感も楽しめ、みずみずしい不知火本来の味が楽しめます。
ただ袋を掛ける作業は、非常に手間暇がかかり、園地内の不知火全てに袋を掛けるのは難しいため、生産量の2割程度となります。

今回お届けさせていただく不知火は限定販売となり、袋を掛けて越冬した実をお届けさせていただきます!
手間暇をかけて育てた不知火をこの機会に是非ご賞味ください。

※不知火とはデコポンと同品種で、デコポンの名前を使用できるのはJA等にある設備を使い糖度や酸の条件をクリアした不知火につけられる名称です。
こちらの不知火は農家直送となりますので、「不知火」の名称でお届けさせていただきます。

【こちらのお礼品はかつらぎ町との共通返礼品となります。】
〈市町村共通返礼品〉平成31年総務省告示第179号第5条第8号イ「市区町村が近隣の他の市区町村と共同で前各号いずれかに該当するものを共通の返礼品等とするもの」に該当する返礼品として、和歌山県内で合意した市町村間で出品しているものです。

返礼品の詳細

配送
常温
配送注記
2025年1月下旬~2025年2月下旬頃に順次発送予定(お届け日指定不可)

※生育状況によりお届け時期が多少前後する場合がございます。予めご了承ください。
※誠に申し訳ございませんが、沖縄・離島へのお礼品の配送はお受けできません。
※事前にお申し出がなく、長期不在等によりお礼の品をお受取りできなかった場合、再発送はできません。あらかじめご了承くださいませ。

出荷の際検品後発送しておりますが、万一商品に問題がございましたら破棄やお召し上がりになる前にご連絡ください。
※到着予定日から、3日以上経過したものや、破棄されたものにつきましては、ご対応することが出来ませんのであらかじめご了承ください。
内容量
容量 :6個~8個
消費期限 :到着後10日
返礼品注記
申込条件: 何度も申し込み可
申込期日 :2025年1月25日

寄附に関する注意事項

【重要】ヤマト運輸の転送サービス有料化について

■2023年6月より、ヤマト運輸の転送サービスが有料となりました。
謝礼品出荷後に配送先を変更される場合は、贈答用の場合でも配送先の受取人様に着払いで転送料をご負担いただく事になりますので、ご注意ください。

串本町 ふるさと納税についてのお問い合わせ

串本町 串本町ふるさと納税係(委託業者:株式会社じゃばらいず北山)
〒649-3592 和歌山県東牟婁郡串本町サンゴ台690番地5
9:00~17:00(土日祝日休み)
TEL:0120-773-775

メールでのお問合せ
furusato@kushimototown.net

この自治体について

和歌山県串本町

わかやまけん くしもとちょう和歌山県 串本町

ー串本町とトルコの友好関係ー

明治23年
日本から帰国途中のオスマン・トルコ帝国の親善大使600名以上が乗船していた船、
エルトゥールル号が台風のため串本町沖で座礁するという事故がありました。

この事故は日本で最大規模の海難事故として知られています。
事故の際に救助を行ったのが串本の大島の住民でした。
住民たちの懸命な救助活動により、翌年には生存した69名が帰国することが出来ました。

昭和60年
イラン・イラク戦争が行われていた当時、
出国しようとしていた200名以上の日本人が満席のためイランの空港に残されてしまいました。
安全が確保できないと日本からの救援も来ない中、助けてくれたのがトルコ共和国でした。

2機の救援機がトルコから救援に訪れ、残された日本人を日本まで送り届けたのです。
イランには、トルコ人も多く在住していましたが優先的に日本人を航空機に搭乗させ、
自分たちトルコ人は1週間をかけ、陸路で帰国しました。

トルコではエルトゥールル号の出来事がずっと語り継がれており、約100年後にその恩返しとして日本人を救ったのです。
その後もお互いに支援しあい友好関係が続いています。

慰霊碑の設立や、トルコとの共同映画製作によってトルコと串本町の友好関係は後世に伝えられています。